ツレヅレに、じゅげル。

ヒビ ほぼ 書き書き。 フオン 不安 だるだる。
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これからとかあるのかな

2ヶ月以上経って、もやもやを抱えながらも日常生活は表面的に通常らしく戻ってるなと、通勤時間なんかにふと思う。
直後はしばらく、なんだか誰もが元気がなくてどことなくせつなげで、落ち込んでいるように見えたけど、もうその感じもあまりない。
油断すると一瞬忘れてしまうけれど、
今朝はネットで、夕方は写メで、地震雲の写真を見た。
地震雲の信憑性はわからないけれど、まだまだ、次に何が?いつ?という気持ちはまったく消えない。
震災の瞬間はどこにいたらましか?とか、何をもってどこに逃げるのか?とか、時々考えてみる。

それでもどこか、いつか必ず東京がめちゃくちゃになる地震が来るなんてことは信じたくないし、必ずではないよね?なんて言い聞かせたり、ぼんやりと現実逃避してしまう。


1ヶ月以上続いた目の痙攣はずいぶん減った。
時折目眩が来るけど、ひどい時期よりは全然まし。

ただ、ずいぶん寂しさを感じるようになった。


何かあっても私は1人なんだと思ってしまったあの日から、それの切実さが染み込んできたのだろう。
だからって、誰かー!誰でもイイからー!身近なとこでもなんでもイイからー!みたいな気持ちはまったくなくて、むしろ大事だと思える人に出会わなきゃなんて思うようになった。
好きかどうかわかんなくなってる情だけのぐだぐだの関係でも一緒にいりゃいいみたいな気持ちもない。

だけど、ほとんど生命力がない。誰もいないと、私は私に対しておろそかなとこがあるから、1人なら生きるとかまーいっか、なんて気分になって困る。


震災の日、早い段階で心配して来たメールは3件。
みんな私のことを好きな男性だけど、みんな私が1番ではない人ばかりだった。
1番大事な人や家族、その次くらいに多少恋心のある私にメールくれたのだろう。
嬉しくないわけではないけれど、そのときは逆に孤独を感じた。
私は、誰かの唯一ではないのだ。それを確認した日でもあった。
みんな大丈夫かな?とは思いつつも、特定の誰か心配すべき人がいないことにも気づいた。

両親はもちろん心配してくれたし、数日間は色んな友人からメールがきたりして、みんな心配し合ってた。実際の孤独なんかに比べりゃずいぶん幸せなんだろうけど、とにかくどうしても不足感があってぼんやりと不安だけが残った。
1人が好きだったけど、1人というのは物理的にだけでなく、精神的にも支えみたいなもんがない弱い存在だと実感した。


色んなもやもやが薄らぐ日は来るのかな。
ツレヅレ | permalink | comments(2) | trackbacks(0)

時には終わってる映画のはなし

 同年代の役者や監督や脚本家なんかと飲む機会が時々あって、

みんなそれなりに売れてる人達なんだけど、一般人の私はその中にいて気づく事がある。

といいつつそれは胸の内に秘めておいて、いつか機会があればここで書くことにして。

その延長にもなることなんだけど最近見た映画について思った事。


「終わってる」という映画を観た。

悪いという程悪いのかはわかんないけど、ぜーんぜん良くなかった。

監督と役者の自己満足の映画だと思う。

全然良くないものについて触れることは普段しないんだけど、そこの身近(だと思われる)な人達は絶賛してたりして意味がわかんないから、つい書いてみたくなった。


役者(あれに出ているくらいのポジションの役者)にとっては、キャラがたってていいのかもしれない。全部おいしい役なのかもしれないね。

恋愛映画なんだけど、この映画、内容がなーんにものこらないの。

一見恋愛について考えさせる風な作風なのに、

全然、愛についても恋についても考えさせられないの。

もしかすると私の恋愛観から遠いだけで、他のひとには響くのか?

それはわからないけどね。


園子温の愛のむきだしなんて、観た直後はしばらくは「愛」について頭いっぱいだったし、

役者もアイドルとかな可愛い女優さんなのにそんなのどーでもよくてね、観た後にはとにかく頭の中を支配しまくったの。


私が1番嫌だと思うのは、監督の思惑しか残らない映画っていうのなんだよね。

そういうのに限って深い暗い嫌な結末だったりするからぼっと見てたらそれでもしみじみ来ちゃうのかもしれないけど、

冷静になると後に何にも残らないのね。


きっと監督の頭の中でおいしい感じのシーンや役があって、そこだけを膨らませて気持ちよくなってると思うんだ。なんとなく。

いいかんじ、とか、深い感じ、とか、おもろい感じ、とか、なんかさそういうのがさ、面白い鋭い人間(と自分を思ってる人)がそこの部分を自分でかわいがり過ぎてる感じというか。

だけど、そういうシーンとかに共感することで気持ちよくなる観客だっているから成立しるんだろうけど。

私は美術の人間だから、逆にそういう感覚重視で自分の感性を甘やかす作り方が好きじゃないのかも知れないけど。


この映画の場合は、1番大事な部分を非現実的なシーンに持って行って、更に言葉で語っちゃうんだよね。

あれってある意味ナレーションと一緒だよね。説明して言っちゃうんだからさ。

しかもそのシーンもファッションにしか見えないというか。


おもろい(風な)人が、意味ありげなもの作ったけど、よくよく冷静に見ると意味全然ない、みたいな感じかな。


別にけなすほどの映画でも無いんだけど。

他にも、ウルトラミラクルラブストーリーや100万円と苦虫女でも似た様な印象を受けた。

ああ、こういうシーンがイイと思ってるのねこの監督は、といちいち感じてしまう。

何か残る必要が必ずしもあるわけではないけど、なんていうのか外見を気にし過ぎて中身がすかすかな感じがしちゃうのかも。


がちなふりして、全然がちじゃないっていうか。

おしゃれなフリして実際ただおしゃれなだけって方が好き嫌いぐらいで見られる分まだましかな。

だけどさ、映画だと距離があるから感じる部分もあるんだけど、

自分のいる美術の世界にも置き換えて考えてみたいことなんだよ。

ミル(映画) | permalink | comments(2) | trackbacks(0)

節電の夜に仕事のこと

毎日着々と働く人達のおかげで明るいニュースも入って来る。
こんなに絶望的な状況の中でも一週間もたたないうちにさくさくと救助や整備や道路の補修などがすすんでるらしい。
すばらしい。

私は今日さすがに、実家への帰省を考えた。
逃げる訳ではない。
そもそもそんなに生きたくもない(なんて今この状況で言ったら罰が当たるけど)し、
もはや東京が実家と同じくらいの故郷だと思う気持ちになってるからね、なんとなく離れたくもない。
ただ、経済にはほとんどまったくといっていいほど影響のない仕事だし、
ここ数日言ってる通りに、ライフワークの絵を描く事もこんな状況ではまーったく何の足しにもならん。
売れてる絵描きは自分の作品をお金持ちや海外にばんばん売って募金出来るだろうけど、
美術に携わりながらも、この数日で美術の無力さを感じない奴はどこか鈍感だとも思う。

ともかくそんな私みたいな奴は帰省するのが1番の節電になるなと思ったから、
帰省のことを考えたのだ。

それに、こうなったら私の仕事は無意味なのだ。
長い目でみて、必要としてる人達もたくさんいるし不要ではないのはわかってても、
いま、今この状況で必要か?ということなんだよね。
だいたいやるほどに赤字になる様なお店で、
今この時期に電気使って営業するべきか?ってさ。
せめて1週間は休業にするべきだと私は思ってる。
だけど最近の社長との亀裂からいくと、
私の意見は通らないどころか、
水にアブラなのが見えてるからしたがうだけなのだ。
こんな時期にこんな仕事で営業するなんてくだらない自己愛みたいなもんのような気がしてるけど、私が今この状況に不安定になってるからなのだろうか。

あとは単純に、この状況で社長に会いたくないから休みたいのも事実。
人としての魅力はあっても、人間性としてはまったく尊敬出来ないし、
今回の災害でそれはますます思ってしまったから。
ともかく不安をあおるように誰よりもヘタに騒ぐしさ、
不安定をそのまんま出すから出勤したり途中でいきなり閉めて帰るように即したり、
振り回されてる。
昨日は原発のことで騒いで途中で帰らせたのに、
更に状況が悪化してるのに明日はなんとなく出勤だし。

みんな何かせずにはいられないんだろうけど、
まだ地震から一週間も経ってないからね、
この状況で必要とされてない人は今は大人しくするのも協力だと思う。
もちろん経済を少しでも動かすために働くのも大事だけど、
少なくとも私の会社は節電を考えるべきだと思う。

この機会に、自分のやってるしごとの重要性を考えてしまった。
心の豊かさとか人間にとって大事な事とか色々言ってても、
豊かじゃない状況にはまったく無意味というこの矛盾。
薄々気づいてひっかかってた部分がここにきてハッキリ形を出した。
こんな店が大事だと思われるような豊かな時代がすぐ戻るよう望む気持ちも勿論あるんだけど。
シゴトバ | permalink | comments(2) | trackbacks(0)

今夜も節電の夜に音楽のこと

日々不安の中でも、なんとなく日常が少しずつだけど戻って来てる様な。
それでも原発の問題で色んなことを勘ぐったりして疲れてしまうね。

今日も節電。
最近は暖かかったけど、なんとなく今夜は寒い。
昨日も多少書いたツクル事のはなし、
今日は音楽のこと。

もしかすると何度もここで書いた内容なんだけど、
ちょうど今日はフィッシュマンズの佐藤伸二の命日なのと災害のまっただ中なので、
この話を思い出した。
私が絵を描く時に励みにしてる話なので、私は何度も思い出してる。

たぶん阪神大震災のときだとおもうけど
何十時間ぶりかに発見された老夫婦の話で、
お互い瓦礫の下で姿は見えずとも声だけ聞こえて
励まし合いながら諦めずに助けをまっていた時、
おじいさんがさすがにもう無理だと諦めかけた時に、
おばあさんが夕焼け小焼けを歌っておじいさんを励ました。
その歌で元気づけられたおじいさんはもう少し頑張ってみようと思えて、
その後、老夫婦二人とも奇跡的に助けられたという話。

何にもなくなったその時に、はげみになったのが歌だった。
芸術とか音楽とかはなんとなく非生産的で大変な事態の時には後ろめたい気持ちにもなるけど、音楽は決して無力ではなかった。
フィッシュマンズの音楽はその夕焼け小焼けに近い力があるのではないか、
というライターの記事なんだけど。

毎日、音楽家が何かできないかとツイッター見ててもそわそわしてる。
昨日も書いたけど、正直なんにも出来ない気がするし、自己満足に近いものも感じてる。
その一方で音楽にはこういう力があるのも事実。
結局は昨日書いたことにも近い結論なんだけど、
別にイマ何かむりやり力にならなくても良いんだとは思う。
でも、変に無力感やヒクツな気持ちになる必要はなくて、
作りたければ誠実に作り、人の心に響くイイモノを作れば、
意図せずどこかでいつか人の勇気の手助けになることはあるということは確かだと思う。


連日テレビの報道に嫌気がさした友人が
こんな時にはジブリや、美術館収蔵作品みたいな巨匠の絵画を見たいとつぶやいてたのにもすごく納得した。
決して現実逃避ではなくて、人の精神が必死で作り上げた美しいものやいいものには、
強い力が宿っていることは否定できないと思う。

ツレヅレ | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

節電の夜にツクルことについて

結局もやもやしてて何もできない。
驚くほど弱い自分。困った。
それにしても現地の人達の方がよっぽど生命力があるのかもしれない。
みんな生きようとして、この先のことを心配したり考えたりしてて、
それはある意味強い力だ。

色んな文句を言う人も多いけど、
本当に色んな人達がここ数日頑張ってるとしみじみ思う。
死んでしまった人も随分みつかってるけど、
それだってそれだけの人数を探し出してるわけで、
その作業を思うと想像出来ないほど大変だろうな。

それでも夕方に、バイトのこから明日の営業どうするのか?と質問メールが来て、
明日はこんな感じで仕込み準備してとかなんとかメールしてるうちに元気になってきた。
1人でいると私の場合はどこまでも落ちるので、仕事は嫌でもたぶん本当は助かってる。

こんなことがあるとみんな口をつぐんでブログのアップも減ってるのに、
私は匿名なおかげでこうして書いていられる。
見てる人が少ないのはこんな時に助かる。


昨日のブログでも書いたけど、こんな時に音楽や美術は無力だと思う。
私の場合は特に、売れてもいない個人的な思いで描いてるだけの画家なんてね。
だけど、こんな時こそ元気づけるぞなんて、絵を描いてツイートにのせたり、
音楽をやる人達もいる。
正直おこがましいと思う部分もあるし、ますます無力感を感じたりもするけど、
でもそれしか出来ないんだから気持ちもわかる。

私がよく読んでるブログでは、こんなことが書いてあった。
こんな時こそこの物語を語る事(この場合は映画かな)は、後に絶対に必要となる、みたいな内容なんだけど。
これを読んでわたしなりに納得した事は、
結局ものをモノを作る人は、この出来事を後にいつでもどんな形でもいいから、
形にしたらいいのだ。
こんなに衝撃があってもやもやしてるこの気持ちを忘れずにいて、
いつかその時が来たら作品にすればいい。
この出来事をずっと抱えて生きて行く人々やこの出来事を知らない子供達に、
この物語を語らなければいけないのはこれからなのだということ。
そういった内容のブログに納得した。

日本人は強い。
こんな状況の中、迷う事無くただもくもくと救助に当たってる人々や、
途方にくれながらも自分で崩れた家の片付けをしてる被災者達を見てると、
こんなとこでもやもやしてるなんて本当はばかばかしいことだとも気づいてる。

ツレヅレ | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

いろいろ思う

本当に久々のブログをこんな形で書くことになるとは。
ここ数日、皆さんいかがお過ごしだったのだろうか。
事が事だけに色々と思う事が多すぎて、
でも、いちいち、
自分の事考えるなんて自分勝手か?とか、
イイ人ぶろうとしてないか?とか、
正しい情報じゃなかったら逆に迷惑だ、とか、
そんなことばかり考えてたらなかなかツイッターでもつぶやけなくなった。
黙るのがいちばん。


ここぞとばかりに、普段私にあまりかまわれない(この言い方もずいぶん偉そうだけど)異性が、心配した風に何度も電話をかけてきたりして、もちろんこんな時に出たくもなくて出ない。
ここぞとばかりに、さして親しい訳でもないのに泊めてくれと言い出す異性も、なんか腹立しいわけ。
私は辛いときこそ誰でもいいわけではなくて、そんな時こそよっぽど大事な人か、それがいないなら1人でいたいので、勝手に不安定な気分になる。


いつもだったら普通にこれから節電するよ!とかつぶやくだろうけど、
きっともっと大事な情報がいっぱいあるのにそんなつぶやき不要だろうとか、
けど私だったら友達など身の回りのそういう事がきっかけで気づく事も多いしね、
被災地ではないけど、多少の心のゆとりも必要だと思うし、
だから何が正しいかとか全然わからないのです。


地震直後は、割と冷静に職場のガスを止めて皆と外へ出た。
それでも、たいへんなことになってる!という反面、
その頃はここまでの惨事になるとも思わずにいた。
身近な上司がワーギャー騒ぐ性質だったから、
ついついつられてあり得無い様な情報に振り回されてコレ本当なのどうなの??みたいに呟いたりしちゃって、不確かなことは呟かないようにしなきゃとか、自分も全然冷静じゃないなとか。

なんか、ともかく何も出来ないということだけがはっきりとわかって、
自分は東京で1人なんだということもしっかりと理解した。

普段仲良い男友達だって恋人や妻を思うのが最優先なのは当たり前で、
職場の上司なんかは騒ぎ立てて心配してくれても、結局自分が不安だから一緒にいたいだけか?とか、こんな時だからこそ変な疑いも膨らんでしまうし。
ばたばたしながらも自分勝手なプライベートの心配事もよぎるし。


1日中テレビを見ると不安と悲しみばかりで、気分は落ち込み、やる気もなくなった。
自分が1人だと気づいたとたんに生命力が失せた気がした。
やっぱり愛する人や家族、守るべき人がいないと、生命力とか生きる気力とか弱くなるんだなとも実感した。


それでも、勿論被災地の人達には、1人でも助かって欲しいし、
何か出来る事は無いかとばかり思ってそわそわしている。
こんなとき、絵を描くのも無力だし、何も出来ない自分にも落ち着かない。
自分の為にしか絵を描いてないということがこういうことなのか、とも思った。


ただ、起きてしまった事はもう取り返しつかなくて、
自分はその方面の専門家ではないので、自分は出来ることをするだけ。
今は節電と募金ぐらいか。
政府や機関に色んな文句いう人も多いけど、
今は専門家たちが死にものぐるいでなんとかしようとしてて、
絶対にみんな最善をつくそうとしてるのはきっと事実で、それを心から応援するだけだ。

だけど明日からのこの停電の仕組み、
日本がこれから凄い額のお金が必要となるから節電ばっかりしてても仕方ないのか、
経済的に必要な都心部は停電区域に入ってないけど、
暗闇での犯罪や救急や不便さを思うと、郊外でも間にある多少大きな街では一部停電しない方がいいのではないか、と素人ながら思う。
色々ともんもんと不安。
何も出来ないなら自分のことだけでも心配しなきゃとも思う。

海外に行くと日本がいかに便利で行き届いた平和な国か実感する。
つい先日もNYに行ってそう思ったところ。
豊かな国だから故、近年、確かに無駄だと思うことも多いけど。
だけど一刻も早く、みんなが元の生活をおくれるようになって欲しいと思うだけ。
ツレヅレ | permalink | comments(1) | trackbacks(0)

実は小さな争いが起きてる

ここでなら、この限られた小さな場所ではこの話が出来る。
とはいえ、アートに興味が無い人にはつまらない話かもしれないね。

実際アートには色んな枝分かれがあり、
普通の人が思うそれよりもずっっとずっと根深い隔てがある気がする。

たとえば、イラストレーターやデザイナーとわたしたちみたいな純粋絵描き。
これは根本はまったく別分野なのだ。
もちろんどちらも出来てる人も少数いるし、逆に成功しちゃった人で成功してからそういう広げ方してる人もいるだろうけど、基本的には全く異業種みたいなもんだ。

で、純粋絵描きの中でも、バリバリな現代アートもいれば、地方で活躍する地元系絵描き、
中間層やなんかで、やっぱり目指すものが全く違うから、恐らく話しても全然合わないぐらいに違いがある。

で、私も今の職場に転職してからより強く形を感じるようになったのが陶芸という業界。

陶芸はもともと嫌いじゃなくて、私は普段使いの器も100均では買わなかった。
学園祭では陶芸部の出店が1番楽しみだったし、
給料が入ると雑貨屋さんでお気に入りの器を探して購入したり、
ともかく一般的な人よりは多少は器に興味があったのかもとは思う。

陶芸、工芸、というものは微妙な位置にある。
逆に正しい位置にあるのかもしれないけどね。
というのも、私のような絵描きから見ると、
生活への密着度も多いし、
陶芸作家で生活している人も多いし、
根本的には『実用性』という意味合いがある時点で、アートとかなんとか呼ばれるものとはまったくの別という認識。


で、私も元々知ってる、器を愛してやまない器屋さんというか、
器の本を出したり器の展示を企画する伝道師の方がいるんだけど、
それに対して一方は「超ー!」のつく現代アートのアーティストがいて、
どちらも大好きな大事なうつわ作家が居て、
そこの間のやり取りについて、私は勝手にやきもきしてたのです。

そこで小さな争いが起きていたのです。
といっても、結局は間にいる陶芸家の作家さんの揺るぎなさが圧倒的だったので、
器がいいからなんだかんだとなんとかなってるんだけど。

私もまたまた、アートの人間で器も好き、という間の立場にいるので、
なんかなー色々考えちゃうんだよね。

どちらもその作家に対する思いは同じのはずなのに、
現代アートの文脈でそれを表現するとなると、
器業界側からは純粋さが損なわれる感覚というか、そういう表現に聞こえるんだろうな。
というか、どちらもわかるだけに、どちらもわかる。。。てことなんだけど私には。

そうして結局はなんとなく収まりつつも、
なんか違うんだよねって思ってる(もしくは、思い合ってる?)のが、
私のような端の端から見てるともどかしいの。

だってさ、定義とかって本当はどうでもよくてね、
違う思い入れや違う定義でそれを評価しててもね、それ自体が良ければぜ絶対だからね。
だからそういうのが、なんか野暮だなって思うんだ。

とはいえ、みんな純粋だからそうなるのかも?とも感じるけれど。
それに、そうやって狭い現代アートと狭い陶芸界とでアレコレしてる事自体が、
ある意味アートの文脈に組み込まれてたりして結果アートになってる可能性もあるしね。

モノヅクリ | permalink | comments(2) | trackbacks(0)

変わらない為に変わり続ける

ラーメンの話で、有名なネタ。
昔から変わらぬ美味しさで、ずっと人気のある店のこと。

食べた人は「ずっと変わらないなーこの美味しさ」なんて思うわけで、
でも実は、
「変わらない」ということの為には「変わり続けなければ、なし得ない」ということ。
時代は変化して、味覚やそれの流行もあるわけで、
その中でずーっと同じ味を本当に続けていたら、
やっぱり味が古くさくなったり飽きられたりする訳なのね。

この話自体すごく好きだけど、
気づかれないように本当に繊細に努力するという部分にもグッと来る。
努力無しには結果は得られないって当たり前の話だけど。


最近、自分の作品も少しだけ動かしている。
現代アートばりばりのまっただ中の人には微々たるものかもしれないけど、
自分ではすごく意味がある感じ。
わかってもらえない部分も大きいけど、でもいいいのさ。
モノヅクリ | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

だいたい40

今年はいろいろと、なんだか自分が不安定すぎて、不安定な出来事にも対応出来なくて、
ここでの文章も書かなくなった。
細切れで無責任な言葉をメモブログの方へ投げ捨てるか、自意識過剰なひとりごとをツイッターでつぶやくか、ただそれだけになっている。

山本モナの結婚なんかで、会見で私なんかと結婚してくれてなんて言ってるのことに妙に感動してしまったり、
孤独死の飯島愛を思い出したりしながら、最近は自分もそっち側だと思うようになった。

そう、私の理想の寿命は40〜45くらいだ。

昔はすぐに死にたくなって、結局は口だけなんだけれど、
その選択肢は最後の手段みたいに必ず現れて脳裏から消えることがないからさ、
でも、結局生きてしまうならそれはもう考えないようにしようと思えるようになってずいぶん元気でアホな無頓着な人間になれたと思っていた。
でも最近、またこれがちらつくのな。

結婚や出産をしたら変わるかもしれないが、私はだらだらずるずるするのが嫌い。
なにに関してもそう。
実際はずるずるしている側で、何も核心に近づけずにうだうだしてるだけだけど。
そう考えたら40ぐらいが限界なんだ。
ただ、それまでにしっかり絵だけは描いて、生涯の最高に近いかたちの作品は残したいけど。
だから決して無気力な訳ではないの。

ただ、希望や夢や絶対の愛や期待は、無いんだ。
人に対して、それを感じることができないんだ、どうしても。
誰も信用出来ないし、だから好きな人にもそういう出来事でムキになって責め立てちゃう自分も嫌だし、
だからってじゃあ理想的なそれを目の当たりにしたことがあるかというと無いからさ、
結局存在しないんだと思うんだ、絶対的な信頼とか愛とか。
だけど、それを受け入れられないの、つらくて。
絶対以外はいらないと思ってるの、いいとしして。
ああくだらない。

自分以外に大事なもの持っていないから、せいぜいあと10年くらい生きたらもうじゅうぶん。
その頃には私の大嫌いな老化も進んだ自分だろうしね、
自分の器や才能や性格がだいたい見通せてしまっているだろうし、
そうしたら生きていたくないだろうなと思うのです。

ツレヅレ | permalink | comments(3) | trackbacks(0)

各々に事情有り

ずいぶん経ってしまったけど、告白を見た。

まず、
ああいうのが流行ったり、
そんなに色んな人たちが感情を共有できるのが不思議だけど。

あの監督特有のPVみたいな映像は好きじゃないけど、
ナレーション形式のあの流れは多少ひっかかるけど、
たぶんあの形式じゃないときっと、
バッタバタした血しぶきだらけのドタバタ劇になっちゃうのかもな、とも思う。

この映画には、
母親たちとその子供たちが出てくる。
母子ものなら母なる証明のインパクトがあり過ぎたけど、
現代の日本という感じでは告白はそんな感じなのかも。

私が一番に感じたことは、
凶悪事件とか未成年の事件とか、
何でも分かりやすく、
かつ分かりやすく残酷さを掻き立てるように報道する、
だけどみんなそれぞれに事情があって、
それは意外に複雑だったり逆にすごく簡単だったり、
それは結局本人にしかわかんないんだなってこととっか、
そこに行き着くには絶妙な流れがあって、色んな偶然や必然がたまたま繋がって着いた結果だったりするんだよね。


それは普段の生活の中でもよくあることで、
私はたいてい深読みしてしまったり思い込み強かったりして、
それもわりと当たる確率高いんだけれど、
やっぱり中には全く意図せぬ理由がポンと出てきたりするわけだ。


最近はTSUTAYAでマンガレンタルしていて、
闇金マンガのウシジマくんを読んでるとこ。
ダメなやつらがたくさん出てくるんだけれど、
やっぱりみんな、どこかでたまたま歯車が狂いだして止まらなくなっているんだよね。
偶然や必然がたまたまそんな流れを作り出してしまうだけで、
なんでこんなになってしまったんだろう…って気づいた時には遅いんだけど。


なんだかみんな大変だなってさ、
誰だって自分なりの事情があるわけだしってさ、
どこかにうまく噛み合う場所を見つけたり、
どこかで自分を強く切り替えられたり、
なんか救いがあればいいんだけれどもね。
ツレヅレ | permalink | comments(2) | trackbacks(0)

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